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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)3786号 判決

原告

小野寺源蔵

被告

生井寛

主文

一  被告らは各自原告に対し金六二一万一、〇六九円及びこれに対する昭和五七年五月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金二、〇五八万三、五三三円及びこれに対する昭和五七年五月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四四年二月六日、埼玉県浦和市寺山二三八番地先路上において、自己が運転していたダンプカーのタイヤのパンクを修理中、被告生井の運転するダンプカーに追突され、頭部打撲擦過傷、左下腿開放性骨折、胸部打撲等の傷害を受けた。

2  被告生井は、前方不注視の過失により本件事故を起こしたものであるから民法七〇九条の、被告深谷は、本件加害車両を所有し自己のために運行の用に供していたものであるから自賠法三条の各責任がある。

3(一)  原告は、事故当日の昭和四四年二月六日、直ちに丸山病院吉川外科に入院し、間もなく骨折部分の手術を受けたが、その際の輸血により急性の血清肝炎(輸血後肝炎)に罹患し、約三カ月後に黄疸症状があらわれた。そのため、原告は、同年九月一二日の右病院退院まで、外科的治療とともに、右肝炎に対する検査・治療を受け、その後も外来治療を続けた。

(二)  原告の肝臓に対する検査等は昭和四六年ころまで一応続けられたが、前記退院後、黄疸等の自覚症状はなくなり、原告としては、肝炎は完全に治ゆしたものと考えた。

(三)  ところが、その後長期間、自覚症状のないまま慢性非活動性肝炎として潜行していた原告の肝炎は、昭和五四年偶然的な事情で発覚された。すなわち、原告は、勤務先の会社の検診で「要観察」とされたため、同年四月二三日北病院で診察を受けたところ、「肝臓が腫れている」と指摘され、同年五月九日同病院に入院して検査を受けた結果、慢性非活動性肝炎であることが判明した。そのため、原告は、同年七月一一日まで右病院で入院治療を受け、引き続き外来の通院治療を続けたものの、再び肝機能が悪化し、昭和五六年四月一日から同年六月二〇日まで右病院に再入院して治療を受けた。しかし、このころの原告の肝炎は、治療しても病状が好転せず、放置すれば肝硬変や肝がんになるおそれのある慢性活動性肝炎に移行していた。

(四)  原告は、右再入院の退院後も引き続き同病院で通院治療を受けているが、現在自覚症状として、体がだるい、すぐ疲れる。仕事に対する意欲がわかないなどの症状が出ており、医師からは入浴、飲酒を禁じられ、勤務時間(特に深夜勤務)を制限され、もし今後治療を中止し放置すれば、肝硬変や肝がんとなり生命を失う危険すらある状況である。

4  原告は、昭和五四年四月に北病院において判明した肝炎に基づく損害として、次のとおり請求する。

(一) 入院付添費 金四三万五、〇〇〇円

原告は、北病院における第一次入院期間(昭和五四年五月九日から同年七月一一日まで六四日間)、第二次入院期間(昭和五六年四月一日から同年六月二〇日まで八一日間)の合計一四五日間にわたり原告の内妻訴外堤もとの付添看護を受けたので、付添費日額金三、〇〇〇円として金四三万五、〇〇〇円の損害を蒙つた。

(二) 通院付添費 金三一万六、五〇〇円

原告は、北病院への第一次通院期間(昭和五四年七月一二日から同年一〇月二六日まで一〇七日間)、第二次通院期間(昭和五六年六月二一日から同年一〇月二日まで一〇四日間)の合計二一一日間にわたり訴外堤もとの付添看護を受けたので、付添費日額金一、五〇〇円として金三一万六、五〇〇円の損害を蒙つた。

(三) 入院雑費 金一〇万一、五〇〇円

日額金七〇〇円として一四五日分。

(四) 休業損害 金三七五万八、二六六円

原告の第一次休業期間(昭和五四年五月九日から同年一〇月二六日まで一七〇日間のうち、実欠勤日数一五四日)、第二次休業期間(昭和五六年四月一日から同年一〇月二日まで一八四日間のうち、実欠勤日数一六〇日)の休業日数合計は三一四日のところ、第一次休業前六か月間における原告の平均日収は金一万一、九六九円(金一六七万五、七〇四円÷一四〇日)となるので、原告の休業損害は金三七五万八、二六六円となる。

(五) 逸失利益 金一、八九三万九、七六九円

原告の後遺症の等級は、既に認定を受けている上下肢部の後遺障害と今回の肝機能障害とを併合すると、後遺障害等級五級(労働能力喪失率七九パーセント)に該当するものであり、逸失利益の基礎とすべき給与額を月額金二七万四、五〇〇円(原告の本訴提起時満五八歳の年齢別平均給与額)、就労年数を満六七歳までの九年間、中間利息を新ホフマン方式(係数七・二七八二)により控除して算定すると、原告の逸失利益は金一、八九三万九、七六九円となる。

(六) 慰謝料 金一、〇二一万円

入通院慰謝料として金二二一万円、後遺症慰謝料として金八〇〇万円。

(七) 弁護士費用 金一八七万一、二三〇円

5  よつて、原告は被告らに対し、前記損害額金三、五六三万二、二六五円の内金二、〇五八万三、五三三円及びこれに対する昭和五七年(ワ)第五一一〇号事件の訴状送達の日の翌日である昭和五七年五月七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、被告深谷が本件加害車両を所有し自己のために運行の用に供していたことは認める。

3  同3(一)の事実は認め、同3(二)ないし(四)については後記のとおり争う。

4  同4の損害の主張については争う。

三  抗弁

1  原告は、本件事故後、丸山病院古川外科において多量の輸血を受けたことから、三か月後に黄疸がでて、非A非B型急性血清肝炎にかかつたが、一般に血清肝炎発症後、おおむね六か月以上肝機能障害が継続した場合、慢性肝炎に移行したと判断されるところ、原告の肝機能障害に対する治療は、昭和四四年九月一二日の右病院退院後も継続して行なわれていたのであるから、原告の血清肝炎は、同年一一月ころには慢性肝炎に移行していたと認められる。

ところで、慢性肝炎に罹患すると、食欲不振、全身倦怠等の自覚症状があるのが普通であり、また、慢性肝炎は厚生省指定の難治性疾患であつて、治療によつてこれを根治することが現在の医学水準ではできず、その進行を抑え肝の病変を落ち着いた状態にしておくことができるにすぎない。したがつて、慢性肝炎の患者は、常に安静加療、食事療法、投薬治療を必要とするのであり、自己が慢性肝炎に罹患していることは知悉していた筈である。

2  被告らは、原告との間に昭和四六年一二月一八日と昭和四九年四月九日の二回にわたり示談を交わしているところ、右示談は原告の慢性肝炎を予見したうえで成立しているのであり、原告主張の慢性肝炎は示談成立後に新たに生じた疾病ではない。

すなわち、原告の慢性肝炎は昭和四四年一一月ころから治ゆすることなく継続し、原告は、第一回示談のころまで肝庇護剤の投与を受けていたため、被告らからの第一回の示談交渉の申入れに対し、自己の慢性肝炎による肝機能障害の残存を知つて、すぐには示談に応じなかつたのであり、更に第二回示談のときも、その二か月位前に北病院における慢性肝炎の治療費を請求しており、自己の慢性肝炎が治ゆしていないことを知りながら示談したのである。被告らは、昭和四六年一二月一八日の第一回示談において、治療費金四六七万四、〇七六円、看護料金一〇二万〇、一一〇円、休業補償金一七一万六、〇〇〇円、慰謝料金一六〇万円、逸失利益金一六四万九、七六〇円(後遺症七級相当)、雑費金一五万二、八六〇円の計金一、〇八一万二、八〇六円を支払い、昭和四九年四月九日の第二回示談において、治療費その他金三九万七、五二〇円、看護料金五九万七、二八六円、休業補償金六〇万円、雑費金一二万円、示談金名下金五〇万円の計金二二一万四、八〇六円を支払い本件事故当時の死亡の場合の自賠責保険金額が金三〇〇万円であつたことからすると、極めて多額である総額金一、三〇二万七、六一二円(自賠責保険の傷害分金五〇万円、後遺障害分金一二五万円、任意保険限度額金一、〇〇〇万円を超える部分は被告らの自己負担である。)が支払ずみなのであつて、右は原告の慢性肝炎による損害を予見していたからにほかならない。

また、仮に、原告の慢性肝炎が後遺障害等級一一級一一号に該当すると仮定しても、原告の他の八級七号、一〇級一〇号の後遺障害と併合して七級相当にしかならないのであり、既に前記示談では後遺障害七級相当を前提に損害額の計算をしているのであるから、原告の慢性肝炎による損害は賠償ずみということになる。

3  しからずとするも、原告の慢性肝炎に基づく損害賠償請求権は、遅くとも昭和五二年四月九日の経過により消滅時効が完成しており、被告らは、本訴において右時効を援用する。

すなわち、原告の血清肝炎は昭和四四年一一月ころ慢性肝炎に移行し、原告は、自己が慢性肝炎に罹患したことを知つたのであり、その後治ゆすることなく現在に至つている。したがつて、原告の本件損害賠償請求権は、遅くとも昭和四九年四月九日の第二回示談成立から三年後の昭和五二年四月九日の経過により消滅時効が完成した。

原告の昭和五四年四月以降の慢性肝炎の悪化は、原告が慢性肝炎に罹患していることを知悉しながら、日常生活や仕事等について特に注意せず、不養生であつたことによるものである。

なお、被告深谷に対する関係で、原告が慢性肝炎を認識したと主張する昭和五四年四月時点の北病院での診察を消滅時効の起算日とする主張はしない。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  原告の血清肝炎がその後慢性肝炎に移行したことは、客観的事実としてはそのとおりであるが、原告は、丸山病院古川外科を退院するころには黄疸等の症状がなくなつたことから、肝炎は治ゆしたものと考え、その後何らの自覚症状が出ないまま経過したため、昭和五四年四月二三日北病院の診察を受けるまで、自己が肝炎に罹患している事実を全く知らなかつたものである。その間、客観的事実としては、丸山病院において肝臓の検査等が行なわれたこともあるわけであるが、原告は、左足の外科的治療のみが施されているものと理解し、肝臓の検査等については全く認識がなかつた。

2  被告ら主張のとおり、二回の示談のなされたことは認めるが、右示談が原告の慢性肝炎を予見したうえでなされているとの点は否認する。

右二回の示談当時、原告には肝炎の認識はなかつたのであり、示談書自体の記載及びその基礎資料に肝炎のことが触れられていないことからしても、右二回の示談に肝炎が含まれていなかつたことは明らかである。真実は、第一回示談は、もつぱら左下腿部分の傷害及び後遺障害(八級七号と一〇級一〇号で肝炎とは関係がない。)をめぐる損害について結ばれたものであり、第二回示談は、右部分のその後の経過が思わしくなく、特に骨髄炎が悪化したことにより生じた新たな損害について結ばれたものである。

したがつて、本件の慢性肝炎に基づく損害賠償請求権は、示談当時には予期し得なかつた損害であり、示談成立後に新たに発生したものであるから、原告が右請求権を行使できることは明らかである。

3  被告らの消滅時効の主張は争う。

原告が慢性肝炎による損害を知つたのは、前述したとおり昭和五四年四月であり、その後三年を経過する前の昭和五七年一月に、原告は東京北簡易裁判所に対し、被告深谷と連帯債務の関係に立つ被告生井を相手方として調停を申し立て、同年三月三〇日の調停不調後、本訴を提起しているから、消滅時効は完成していない。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  同2の事実中、被告深谷が運行供用者責任を負うことは、当事者間に争いがなく、被告生井が不法行為責任を負うことについては、被告らが明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

三  本件事故後の原告の症状、治療の経過及び示談の経緯等について判断する。

原告が事故当日の昭和四四年二月六日から直ちに丸山病院古川外科に入院し、間もなく左下腿骨々折部の手術を受けたこと、その際の輸血により、原告が急性の血清肝炎(輸血後肝炎)に罹患し、約三か月後に黄疸の症状があらわれ、そのため、同年九月一二日の右病院退院まで、外科的治療とともに、右肝炎に対する検査・治療を受け、その後も外来治療を続けたこと、原告が被告らとの間で昭和四六年一二月一八日第一回示談、昭和四九年四月九日第二回示談を結んだことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、原本の存在及び成立とも争いのない甲第二ないし第四号証、乙第五ないし第九号証、第一一、第一四、第一五号証、成立に争いのない甲第五、第六、第九、第一〇、第一二、第一三号証、乙第四、第一〇号証、第一六ないし第一八号証、証人貝塚秀四郎の証言、原告本人尋問の結果、被告深谷本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定に反する被告深谷本人尋問の結果は措信できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  本件事故により原告の受けた最も重い傷害は左下腿部の骨折であり、このため原告は、丸山病院に、昭和四四年二月六日から同年九月一二日まで、同年一一月六日から同年一二月一二日まで、昭和四五年三月七日から同年九月一日まで、同年一一月一二日から同年一二月三一日までと入退院を繰り返したほか、骨折した部分の骨髄炎が悪化し、第一回示談が成立したのちも、右病院に入院して治療を受けていること。

2  原告には、当初入院の約三か月後に、輸血後肝炎(非A非B型急性血清肝炎)による黄疸の症状とともに、食物のにおいに気持が悪くなるなどの自覚症状があらわれたが、昭和四四年九月一二日の退院時のころまでには、右各症状はいずれもなくなつていたこと。

3  丸山病院における原告の肝機能障害に対する検査及び肝庇護剤等の投薬治療は昭和四六年七月中旬ころまで続けられていたが(それ以降の丸山病院における肝炎の治療についてはこれを認めるに足りる証拠はない。)、原告にはこれといつた肝炎の自覚症状は出ていなかつたこと。

4  原告の本件事故による後遺障害は、自賠責保険において、当時の自賠法施行令別表後遺障害等級八級七号(一下肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの)、同一〇級一〇号(一下肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの)の認定を受け、併合繰り上げにより同七級相当の後遺障害保険金一二五万円の支払を、昭和四六年四月三〇日に受け、右等級認定を前提に、同年一二月一八日左記内容(甲は原告、乙は被告らを指す。)の第一回示談契約を結んだこと。

「〈1〉 乙は甲に対し、既に支払済である金三四五万二、四九〇円の外に、慰謝料、後遺症、休業補償、雑費他として計金二八五万円を支払うこと。

〈2〉 乙は甲に対し、看護料として金一〇二万〇、一一〇円を支払うこと(但し既に全額支払済である。)

〈3〉 乙は甲に対し、后日、妥当なる治療費を支払うこと(但し四六年一二月一六日までの治療費を支払うこと。)」

5  原告は、第一回示談成立後も骨髄炎の悪化により丸山病院に入院して治療を受けるなどしたため、昭和四九年四月九日左記内容の第二回示談契約を結んだこと。

「本件交通事故については、四六、一二、一八付で損害賠償の示談が成立し、その示談金は支払済であるが、後日、再発し、再入院したため、因果関係あるものと認め、その後の治療費(四九、二、二八までの分)、看護料、雑費他として金五八万四、五二〇円を支払うこととする。但し、治療費と看護料金八万四、五二〇円は支払済であるので残額金五〇万円を昭和四九年七月末日までに支払うこと。」

6  その後、原告は、タクシー運転手として稼働するようになつたが、再度左下腿部の具合が悪くなり、従前丸山病院での担当医が大宮赤十字病院に移つていたことから、昭和五一年五月から一か月間位、同病院整形外科に通院して左下腿部の治療を受けたことがあるものの、同病院において肝炎に対する検査、治療はなされなかつたこと。

7  原告は、昭和五四年二月末ころ、たまたま勤務先での検診で「要観察」の指摘を受け、自覚症状はなかつたものの、同年四月二三日北病院において肝臓の診察を受けたところ(それ以前に肝炎で同病院にかかつた形跡はない。)、肝腫脹と肝機能障害が認められ、肝生検等の検査の結果、慢性非活動性肝炎との診断がなされ、同年五月九日から同年七月一一日まで同病院に入院して治療を受けたこと。

8  原告は、右退院後も通院を続け、同年一〇月末ころ職場復帰したが、その後再び肝機能が悪化し、慢性活動性肝炎と診断され、昭和五六年四月一日から同年六月二〇日まで北病院に再入院して治療を受けたこと。

9  原告の肝機能は右第二回目の退院後、やや落ち着きをみせているものの、原告は、昭和五八年三月時点においても、二週間に一回位の割合で北病院に通院することを余儀なくされており、入浴や飲酒は厳禁され、仕事も休養を多くとり、過労にわたらないよう注意されていること。

10  原告は、昭和五七年一月一四日被告生井を相手方として、東京北簡易裁判所に対し、昭和五四年四月二三日以降判明した前記慢性肝炎に基づく損害の支払を求めて調停を申し立て、被告深谷も交えて話合をしたが、昭和五七年三月三〇日調停不成立になつたこと。

四  前記三で認定した事実をもとに考えてみるに、昭和五四年四月に北病院で診断された原告の慢性肝炎は、原告が本件事故後の輸血により罹患した急性の血清肝炎に起因するものと推認され、客観的にはこの血清肝炎が慢性肝炎に移行していつたと考えられるが、原告の黄疸等の症状は、昭和四四年九月一二日時点の丸山病院退院時には既に消失しており、その後において原告に何らかの肝炎の症状があらわれていたことを認め得る証拠はなく、また原告の肝機能障害に対する検査・投薬は昭和四六年七月ころまで続けられていたことは認められるものの、その後昭和五四年四月の北病院での診察までの間に、原告がいずれかの病院で肝炎に対する治療を受けていたことを認め得る証拠もない。

証人貝塚秀四郎の証言によれば、慢性肝炎になりながら、患者に特段の自覚症状があらわれないまま一〇年位経過することも少なくないとのことであり、現に医師である同証人が昭和五四年五月一日に初めて原告を診察した時点においても、原告に自覚症状は全く出ていなかつたということである。なお、同証人の証言によれば、同証人の作成にかかる乙第四号証(自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書)に記載された「昭和四九年六月一五日治ゆ」とは、原告の外傷に限つてのものであり、肝炎に関するものではない(同証人の記載ミスである)ことが認められる。

そこで、被告らの主張について判断するに、まず、被告らは、原告の慢性肝炎は昭和四四年一一月ころから治ゆすることなく継続し、原告は、自己が慢性肝炎に罹患していることを知悉しながら、その損害を予見して、第一回及び第二回示談を結んだと主張し、この主張に沿う被告深谷本人尋問の結果が存するが、右二回の示談の経緯は前認定のとおりであつて、被告深谷本人尋問の結果は措信できず、他に原告の慢性肝炎による損害が右二回の示談中に含まれていたことを窺わせる証拠はないのみならず、原告が慢性肝炎の損害を予見して示談にのぞんだことを認め得る証拠もないから、慢性肝炎による損害が示談により解決済であるとする被告らの主張は採用できない。

次に、被告らは、原告の慢性肝炎による損害賠償請求権は昭和四九年四月九日の第二回示談成立から三年後の昭和五二年四月九日の経過により消滅時効が完成したと主張するが、前説示したところからすると、原告が右示談時までに慢性肝炎による損害を認識ないし予見していたとは認められないのみならず、慢性肝炎の病態及び後遺症としての特異性を考えてみると、原告に対しその時点で慢性肝炎による損害の認識ないし予見を期待することも無理であつたというべきである。してみれば、「原告が慢性肝炎による損害を認識したのは、北病院で診察を受けた昭和五四年四月二三日以降ということができ、原告は、その後三年を経過する前の昭和五七年一月一四日被告生井を相手方として調停を申し立て、同年三月三〇日の調停不成立の翌日に被告生井に対する本訴を提起しているのであるから、本件損害賠償請求権について消滅時効が完成したとする被告らの主張は採用できない。」(なお、被告深谷は、昭和五四年四月二三日の北病院での診察を消滅時効の起算日とする主張はしないことを明らかにしている。)

五  原告の昭和五四年四月以後の慢性肝炎による損害について判断する。

1  入院付添費

原告本人尋問の結果によれば、原告は、医師の指示を受けたわけではないが、前認定の北病院における第一次入院期間(昭和五四年五月九日から同年七月一一日まで六四日間)、第二次入院期間(昭和五六年四月一日から同年六月二〇日まで八一日間)の合計一四五日間にわたり原告の内妻である訴外堤もとの付添看護を受けたことが認められるところ、原告の症状からすると、検査や治療のため付添を必要とした期間のあつたことは否定できないものの、右入院の全期間にわたり付添の必要性があつたとは認め難く、本件においては、前認定の諸事情を考慮し、右入院期間の六割にあたる八七日間についてのみ付添の必要性があつたものと推認するのを相当と認める。付添費日額を金三、〇〇〇円として、八七日間の入院付添費を算定すると、金二六万一、〇〇〇円が原告の損害となる。

2  通院付添費

原告の主張する通院付添費とは、原告が北病院に通院していた期間中の自宅における付添費用をいうのであるが(原告本人尋問の結果によれば、北病院への通院そのものは原告が一人で行つていたことが認められる。)原告本人尋問の結果によつて、かかる付添の必要性を認めることは困難であり、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、この点の主張は採用できない。

3  入院雑費

原告は、前認定のとおり、慢性肝炎のため北病院に一四五日間の入院を余儀なくされたところ、入院雑費として一日当り金七〇〇円を下らない出費を要したものと推認するのを相当とするから、金一〇万一、五〇〇円が原告の損害となる。

4  休業損害

原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第七号証、第八号証の一ないし六、第一一号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和五〇年八月から訴外東都交通株式会社にタクシー乗務員として勤務し、北病院に入院する前の昭和五三年四月から昭和五四年三月までの一年間に金三〇四万二、六〇一円(一日当り金八三三五円。ただし、円未満切捨)の給与を得ていたこと、原告は、前認定の北病院への入通院のため、昭和五四年五月九日から同年一〇月二六日までの一七一日間、昭和五六年四月一日から同年一〇月二日までの一八五日間の合計三五六日間就労できなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

してみると、原告の休業損害は金二九六万七、二六〇円(金八、三三五円×三五六日)となる。

(なお、原告の平均日収の算定は六か月分の収入を実出勤日数で除する方法のため、休業日数も実欠勤日数としているが、当裁判所の日収の算定は年収を三六五日で除しているため、休業日数も延べ日数としてとらえているものである。)

5  逸失利益

本件事故による原告の左下肢部の後遺障害が、自賠責保険の適用において後遺障害等級七級(八級七号と一〇級一〇号の併合繰り上げ)の認定を受け、これを前提に原告と被告ら間に示談の成立していることは、既に説示したとおりである。

ところで、労働基準局長通牒による労働能力喪失率表によれば、後遺障害等級七級の喪失率は五六パーセントとされており、本件における原告の慢性肝炎がこれに加わつた場合、はたしてどの程度の喪失率の増加をもたらすのかは困難な問題である。

原告の現在の慢性肝炎は、その症状からして、現行の自賠法施行令別表の後遺障害等級にあてはめて考えてみると、九級一一号(胸腹部臓器の機能に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの。喪失率三五パーセント)か、又は一一級一一号(胸腹部臓器に障害を残すもの、喪失率二〇パーセント)に該当すると思われるが、いずれの等級にしても自賠責保険における取扱いを前提にすると、原告の後遺障害は併合しても七級にとどまることになるのは、被告らの指摘するとおりである。

しかしながら、本件において、自賠責保険における右取扱いと同様の考え方から、原告の慢性肝炎による逸失利益をすべて否定するのは相当とは思われないのであり、さればといつて、九級か、又は一一級の喪失率をそのまま用いることも、前記示談のなされていることを考えると、不当といわざるを得ない。

したがつて、当裁判所は、本件における原告の慢性肝炎の症状、既に認定を受けている他の後遺障害の部位・程度、原告の職業、年齢、前記示談の経緯、その他諸般の事情を総合考慮し、原告の慢性肝炎による喪失率は控え目にみても示談当時のそれより更に五パーセント程度はあるものと推認するのを相当と考える。

原告の主張のとおり、就労可能年数を本訴提起時の五八歳から六七歳までの九年間とし、喪失率五パーセント、逸失利益の基礎とすべき収入を前記4で認定した年収金三〇四万二、六〇一円、ライプニツツ方式により中間利息を控除(係数七・一〇七八)して、原告の逸失利益を算定すると、金一〇八万一、三〇九円(円未満切捨)が原告の損害となる。

6  慰謝料

原告の慢性肝炎の症状、入通院期間、原告の職業、年齢、示談のなされた経緯、その他一切の事情を斟酌して考えてみると、昭和五四年四月以降の慢性肝炎による原告の慰謝料としては、金一二〇万円をもつて相当と認める。

7  弁護士費用

原告が原告訴訟代理人に委任して本訴を提起することを余儀なくされたことは、弁論の全趣旨により明らかであるところ、本訴請求の難易、前記認容額、訴訟の経緯、その他諸般の事情を考慮すると、被告らに賠償を求め得る本件事故と相当因果関係ある弁護士費用としては、金六〇万円をもつて相当と認める。

六  以上のとおりであるから、被告らは各自原告に対し、損害金六二一万一、〇六九円及びこれに対する昭和五七年(ワ)第五一一〇号事件の訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五七年五月七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務を免れない。

よつて、原告の被告らに対する本訴請求は右の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないのでいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武田聿弘)

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